2012年9月22日土曜日

『悪の教典』 貴志祐介

今年の11月に映画が公開される貴志祐介の『悪の教典』。文庫本で上下巻だったんだけど、一気に読んだ。
色々な作品がドラマ化されたり映画化されたりしてるけど、実は貴志の作品はこれが初めて。
過去からのファンの人たちは、アマゾンのレビューとか見てると辛口評価だったりするけど、初めて貴志の作品に触れる立場からすると、結構面白い。まぁ、もともとそんなに辛口評価するタイプではないんだけど。

サイコパスの話だ。学校の教員が、色々あって、最終的に自分の教え子を数名除いて皆殺しにする話。この数名だって予期せずして生き残っただけで、もともとは全員を抹殺する予定だったらしい。
これだけ書くと、かなりの悪人のような気がするけど、自分の身を守るために人を殺すっていう選択をする、それ以外は普通の人だ。考え方が変わってるだけ。
もちろん、許されることではないけど、個人的には好感が持てる主人公だ。
このくらいぶっ飛んだ考えで人を殺してくれたら爽快だ。

殺人を悪いことだという意識はある蓮実だけど、それでも、仕方のないことだと思ってるらしく、自分が殺す前に自ら手首を切って命を絶った生徒を見て、《射殺されるのは、事故と同じでほぼ不可抗力である。しかし、自ら命を絶つ、生き延びる努力を放擲するというのは、現在の教育が抱える何か根本的な問題に起因しているような気がした》などと考える。
こういうことを本気で考えてるような人が間近にいたら怖いなぁって思う。

俺は、正直なところ、多くの人々よりは、蓮実の考えに近いとは思うけど、こんな人間にはなりたくない。

ところで、世の中、携帯電話が普及してからというもの、何だかみんな忙しくなってる。
小説内にもこんな逸話が。

携帯を切ってる主人公、蓮実に学校からの呼び出しがあった。
もちろん携帯を切ってるから気づかないんだけど、学校に出勤した後で苦言を呈された。
「気を付けてくださいよ。夜中でも、今回のように火急の要件がありますからね」
という校長。
それに対して、《だからこそ、安眠できるように携帯を切っておいたのだが》などと心の中で1人思う蓮実。

こんな考えは、現代社会において確かによろしくない考え方なんだろうけど、誰でも思うことだ。安眠さえ場合によっては許されないっていう時代になったことを考えると、忙しくなったなぁって思う。

《ふいに携帯が圏外になってしまったことは、常に何かとつながっていないと不安になる高校生たちに、さざ波のような動揺をもたらしていた》

なんていう考えは、俺からすればまったくもっておかしな話で、出来れば適度に誰ともつながってない状態は作りたいと俺は思ってる。だから時々携帯の音量をゼロにして、メールが来ても電話が鳴っても気付かないようにしてる。その状態で1日放置したりすることも少なからずある。

携帯に振り回される人生、俺は嫌だ。


何が言いたいのかよく分からない文章になったけど、とりあえず、『悪の教典』、面白かった。
今日、貴志祐介のほかの作品、何か買ってこようかなって思ってる。

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